どこをとっても大好きな店に。松陰神社前『café Lotta』オーナー・桜井かおりさん〈前編〉
世田谷線が走る駅の1つに松陰神社前駅があります。2両編成の電車に揺られホームに降りると、そこにはのんびりとした空気が。喧騒から少し離れ、まるで旅にでも出かけたよう。
この松陰神社前という場所を語る上で欠かせない存在が『café Lotta』です。2001年3月にお店をオープン、20年という歳月をこの場所で過ごしてきました。
『café Lotta』オーナー・桜井かおりさんとオルネのつながりは、“出張ロッタ”。普段お店を構えるかおりさんが初めて出張イベントをした場所が、『オルネ ド フォイユ』だったのです。
そんな『café Lotta』は、建物の取り壊しのため2021年9月末をもって閉店することが決まっています。そこで私たちは、写真や動画、記事を通してその姿をのこしたいと思いました。お店のこと、そしてかおりさん自身のことなど、お話をたっぷりお聞きします。
前編では、あらためてカフェを始めたきっかけやお店を作りのことについて伺いました。
桜井 かおりさん
『café Lotta』オーナー。大手損害保険会社のOLを経て、東京・代官山『クリスマスカンパニー』にアルバイトとして勤務、支店の店長に抜擢され、系列店のテディベア専門店『CUDDLYBROWN』で店長を任され、イギリスなどでのテディベアの買い付けも経験。その後、東京・世田谷『café Angelina』のオーナー桜井昇氏との結婚を機にカフェの道へ。2001年3月『café Lotta』を開業し、心のこもった接客、自分らしさを大切にした店づくりで多くのファンが店に集う。
Instagram|@kaorilotta
アルバイトがしたい!行動したことで出会えた天職
高校を卒業後、父親の勧めもあって保険会社で働き始めたかおりさん。どうやら、はじめからカフェをやりたい、というわけではなかったのだとか。
「高校生のときはアルバイトをしてはいけない学校だったので、その経験がなかったんです。それで保険会社に入ったものだから、当時お給料もよくてボーナスもあって、最初の1年で300万円貯まっちゃった!でも、私はお金にまったく興味がなくて。そんなときふと、『私が人生でやり漏れたのはアルバイトだ!』と思ったんです」。
「アルバイトがしたい!」という思いが強くなったかおりさん。大反対されたご両親も根負け、「3年働いたら好きにすればいい」と言われ、3年働いたのち、念願のアルバイトをすることに。前職のようなお給料は払えないと、面接以前に断られることもあったなか、代官山『クリスマスカンパニー』でアルバイトを始めます。
「当時大人気だった『クリスマスカンパニー』で働くことになって、そのときはすごい天職だと思いました。人と関わる仕事が、接客が本当に楽しくって!」。
数年後、系列のテディベアの専門店『CUDDLYBROWN』に引き抜かれ店長を務めます。イギリスやアメリカへの買い付けも任されるなど充実した日々を過ごしていたそう。そんなかおりさんが飲食に興味を持ったのは旦那さんとの出会いでした。
「実は、飲食にまったく興味はなかったんです。なぜ興味を持ったかというと、結婚した相手がカフェのオーナーだったから。結婚したとき、彼のお店『café Angelina』は3年目くらい。そこから私もケーキの学校に2つ行きました。
そのときも手伝う程度で、自分のお店を持つなんて夢はなかったですね。でも、彼が毎日すごく楽しそうに仕事に行くんですよ。家よりも仕事、というのにヤキモチを焼き始めて…、子連れ結婚したような感覚なのかな(笑)。 彼には『アンジェリーナ』という子ども(カフェ)がいて、そしたらだんだん自分のお店を持ちたいという気持ちになってきて」。
夫婦でそれぞれが自分のお店を持ち営まれているとうのは、当時めずらしく反対もあったそう。でも、1日一緒に夫婦で働いていると、喧嘩もするし、経営にも口を出してしまう、家に帰っても一緒。かおりさんが「自分のお店を持ちたい」と伝えると、旦那さんは大賛成だったと言います。
ジャリ道にシャッター街。物件に惹かれてこの街へ
世田谷線が走る線路。松陰神社前駅のホームから
今でこそ、老若男女が集う町、場所として人気の松陰神社前ですが、かおりさんがお店をオープンした2001年当時は全く状況が違っていたそう。
『café Angelina』のお客さんからも「あんなところにお店をつくっても、うまく行く場所じゃないから」と言われることも。そんな声もあるなか、かおりさんがこの場所に決めた訳とは?
「当時この場所はシャッターもお店も全部閉めているようなところで、道路も砂利道。物件を見るなかで、1軒目は完成したばかりの物件で、きれいだけど心躍らなくて。2軒目に見た今の物件にすごく惹かれて決めたんです。もともとはおじいちゃんとおばあちゃんがやっていたお弁当屋さんで、ここに来たときに『なんてかわいいんだろう!』って。あ、もちろん今とはまったく違うんですけどね(笑)。階段下にあるちょっとした棚とか、もともとなんだったかわからないものとか、そういうところも含めて惹かれたというか。
今考えると絶対にうまく行く商店街じゃなかったと思う。でも私は、『おはよう』とか『こんにちは』とか、近所の人が来てくれるような場所で、喫茶店を作りたかったんです」。
そう話すかおりさん。この日もご近所さんと挨拶を交わす姿がありました。常連さんを始め、今では遠方からもたくさんのお客さんが足を運ぶ『café Lotta』。今年20年目を迎えましたが、お店を作った当時はかおりさんが商店街で最年少。お店を出したときはどんな気持ちだったのでしょう。
「当時私が一番若くて、新参者みたいな感じですよね(笑)。大家さんから『あなたが一番若いから、あなたからみんなに挨拶をしてかわいがられるように』と言われました。今でも大家さんの言葉は毎日思い出します。
挨拶は私が大事にしてきたことの1つ。お店を作るときも、新しいお店ができるときも、前からお店がある商店街という場所だから、それはマナーでもあるし、私は挨拶にきてくれたら私もそのお店に絶対に行こうと決めているんです。逆に挨拶がなくお店ができることもいっぱいあるんだけどね。一番若かった私も、だんだん年上になってきて、見本にならなきゃと思って、挨拶するようにしています」。
商店街という心強い存在。この場所だから続けてきた
まだ喫茶店が1軒もなかった頃にこの場所を選んだかおりさん。新しいカフェや喫茶店ができることに抵抗もあったそう。でもいまでは、世田谷女店主会でのお店同士の繋がりや交流の場があることに感謝していると言います。
「最初は、同業ができるのが嫌だったんです。『私が見つけた商店街なのに!』って。でも、それは、自分に自信がなかったからなんですよね、お客さんがとられてしまうような気がして。今では全然大丈夫、どうぞどうぞという感じです(笑)。
すごく素晴らしい店主がいっぱいいて、世田谷女店主会というのを立ち上げたの。2~3ヶ月に1回、みんなで飲みながら、こんなことがあったんだよとか悩みとか話していたんです。コロナになって2年くらい活動できてないけれど、また再開したいな」。
オープン前、手を合わせるという招き猫
「みんながそれぞれの悩みに対して、真剣に考えて、話して。すごくいい会でした。私はもう店主じゃなくなっちゃうけど、またみんなで集まれたらうれしいですね。こんな風に同業の人とも気持ちよく仲良くできるというのも、長く続けてきたからだと思います」。
商店街という場所だからこその繋がりや関係。松陰神社前という場所を盛り上げてきたのは、こうしたつながりを大切にして、ともに悩み助け合える、そんな仲間のような存在があったからなのかもしれませんね。
大工さんと喧嘩することも!?だからこそ大好きなお店に
『café Lotta』がオープンした2001年当時、そもそも“カフェ”というお店も少なかった(ほとんどなかった!)そう。かおりさんがお店づくりをするとき、参考にした場所やインスピレーションを受けたお店はあったのでしょうか。
「人気だったのは、駒沢のバワリーさん(BOWERY KITCHEN)。大人気で評判で、かっこいいカフェで、ただ私っぽくはないなと思ったの。今みたいにカフェの本や雑誌、SNSもないでしょう。そんなときずっと頭にあったのは、テディベアの買い付けに行っていた、イギリスの田舎町にあるカフェ。ブライトンという街で店名も覚えていないんだけど、必ず行く大好きなお店で、それが真っ白いお店だったんです。スコーンがおいしくってね」。
「昔の小学校のような、ペンキがはげていくような床にしてほしい」と伝えたというかおりさん
写真も無いなかで、そのお店のことを思い出しては一生懸命大工さんに伝えて、「言ってることわかんない」と言われて喧嘩になることも。それでもかおりさんはお店づくりに一切妥協することはありませんでした。
カゴが入るようにこだわった棚の高さ。大工さんに大反対された見せる収納もお客さんを楽しませてくれる一員
「私、お店作りで『ああすればよかった』ということがないんです。この窓はこうで、やっぱりここは何センチで…とか、毎日言うから工事が全然進まなくて。小さいお店だけど3ヶ月もかかっちゃった。でもね、これからお店を作るという人には、本当にこだわって作ることをおすすめします。愛着が全く違うから!だって、人生で自分のお店を持てる人は多くない、持てない人がほとんどだと思うんです」。
とことんこだわって、お店作りをされたかおりさん。だからこそ「どこをとっても大好き」なのだそう。真っ白だった壁も時間が経つにつれ木の節が出てきたり、真っ茶色だった床は歩いているところがかすれてきたり。完成したときよりも、今の方が好きだと教えてくれました。
旦那さんからもらった掛け時計。毎日巻いて、時を刻んできた
「朝11時くらいに差し込む光が好き」と、かおりさん
「インテリアも、好きなものしか置かないって決めていました。好きなものに囲まれて過ごすというのも大事だなと思います。
それと、お店を作るときに雅姫さんのお店も参考にさせてもらったんです。
自由が丘『HUG Ō WäR』の一番最初のお店。私は雅姫さんのお洋服が大好きで、その頃はいつも雅姫さんがお店にいて。『お店を出すんですけど、写真を撮ってもいいですか?』『電気はどこで買ったんですか?』とか聞いて。それで撮らせてもらって、その写真は今でも持っていますね。参考にした唯一のお店です」。
通称「店長」。きっかけはお客さんに「この子、私が店長だと言っている」と言われたことから。開店当初からいるので、たしかに店長だとかおりさんも納得
同じ時代にお店を始めた雅姫さんとかおりさん。5年前くらいから、またよく会うようになったそう。「よく歳をとると、そんなに友達はいらないってみんな言うんだけど、私は逆で知り合いはすごく多いと思う。歳をとった方が、知り合いも増えていって、楽しいなって!」。そう話すかおりさんが印象的でした。
後編では、閉店を迎える今の心境やかおりさん自身のこれからについて伺いました。どうぞお楽しみに。
後編へ続く
写真で切り撮る、『café Lotta』の風景
photo/satoshi shirahama